フルタイムワークからパートタイムマーへ
私は一昨年までフルタイムでカウンセリングの仕事をしていました。
朝早くから夜遅く迄働く毎日。
週末は小学一年生から始めた息子の野球に付添い、強豪高校へ行くために寮生活を始めてからは、車で片道3時間かかる道程を毎週末通い←今思うと、よくあんな過酷な日々を過ごしていたな〜と自身でも関心する程の時間を過ごしていました。
このまま定年退職迄仕事を続け、老後はこの家で1人暮らしをするんだろうなぁと、なんとなく思っていたあの頃。
それを変えたのは、彼との出会いでした。
当時息子は野球を引退し、次の目標を海外に設定したのです。
私は高校卒業後は自宅に息子が戻って来るものだと思っていたので、再び私の元から離れる決断をした彼の想いを尊重しなければという気持ちと、今度はもっと離れてしまい直ぐには会えない距離に行ってしまう寂しい気持ち、そして週末をどうやって過ごせば良いのだろう?
という十数年間ルーティンでやってきた時間と体力のやり場の喪失に、燃え尽き症候群の様な症状が出てしまっていました。
なので彼との出会いは、タイミング的にも良かったのかも知れません。
その症候群を脱するために、抵抗力として考えたのが、今後は私自身が生きる場所を見つけて、私自身の為の人生を歩いても良いんじゃないか?と思うようになったことです。
そうしたら、急に仕事がかなり私の精神的なストレスと時間を奪っていると確信する様になり、退職することを真剣に考え始めました。
でも、息子はこれから大学生。
増して海外留学では相当お金がかかる。
仕事を辞めたら、そのお金はどうなる?
いろいろ、本当に悩みましたが、昔から
「なんとかなるさ!」
精神の持ち主の私は、奨学金申請をし将来息子が返還することを約束出来るなら、留学しても良いことを息子と話し、今直ぐにかかる費用は貯金で賄うことで、退職するまでの間はとにかく貯金を少しでも多くすることに徹して、退職を決意しました。
こういう決意は連鎖するもので、とても格安で面倒見の良いホストファミリーの所にお世話になることが出来たり、家族が援助を申し出てくれたりしたおかげで、何とか息子の留学生活は無事に3年を迎えることが出来ています^o^
退職後は、ハローワークで失業手当を受給しながら職業訓練校に通って、久しぶりの学生生活を3ヶ月間楽しみ、初めてのTOEIC試験、貿易検定の試験を受けました^ ^
その後彼のところに長期滞在し、彼が日本に私に会いに来た日から、久しぶりにゆっくり2人の時間を過ごせたことも、退職しなければ得られなかった経験になりました!
そして帰国後…
アメリカ滞在中から転職活動をし、いくつか書類通過をしていた会社の面接に行き、今の英会話スクールカウンセラーの仕事を選びました。
いつかはアメリカに渡米するだろうという予定から、パートタイムで時期が来たら辞めることが出来ることと英語に携われる仕事に就きたかったという理由です。
最低時給だし、パートタイムの割に責任を課せられる役割、そして辞めるには最低3ヶ月前に意思を伝えないとなかなか辞められないという、入社してから分かったデメリットもたくさんありますが、英語に触れることが出来る毎日はとても新鮮で楽しいです。
そして英会話に高いお金を出して通う生徒の志に勇気付けられ、この仕事に就けて良かったと思える毎日です。
実は、このまま辞めたくない気持ちも出てきています…笑
ただ…貯金は底をつき先日の銀行残高は15,000円!
そりゃそうだよね。
前の仕事の1/3の給料だもの…
貧乏50代の女は、精神的に充実した日々と引替に
切り詰め生活の貧困な日々を手に入れたのでした!(^^;
文化の違い? やはり彼はアメリカ人だった!vol2
これは私達がビザ申請をする前の、昨年私が彼のところへ滞在していた時に書き留めていた日記から抜粋したもので、国際恋愛や結婚にあるあるな記事です(^^;;
やっぱり彼はアメリカ人だった(-。-;
私の彼はアメリカ人ですが、見た目も優しい、アメリカ人なのに人に一歩譲る精神のある人で、そして本当に家族を愛する良い人なんです。
昔からイケメン好きの私なのですが^^;…
正直、知り合った当初は
「良い人そうだから息子のアメリカ留学の英会話勉強の助っ人になってくれるかも?」
という魂胆で、彼から来た友達リクエストを承認しました。ネットでの出会い、増して会うことも無いだろう人との恋愛なんて考えてもいなかった私…
(息子のアメリカ留学に至った経緯はまたいつか時間のある時に書きますね!)
で、、、そのことを伝えると二つ返事で了承したので、しめしめ!と思いしばらくは私より息子とのやり取りをしていました。
今でも息子はたまに彼のところに滞在し、メジャーリーグの試合や観光に連れて行ってもらっています。
私の両親にも誕生日や母の日、父の日にギフトを贈ってくれたりと、至れり尽くせりの彼に
これからは安定や安心、安らぎを与えてくれる人が良い!と思い結婚を決意したわけなのですが…
ビザ申請の不安が募る毎日中、彼が先日思いもよらないことを言い出したのです。
「もう、このまま待つのは嫌だからlinoがアメリカに来て結婚しよう!その方が早く一緒になれるから。」
と…
昨年末迄彼のところにいた際、何人か弁護士にも実は相談したことがあり
「1番手取り早いのは、このまま結婚してしまってグリーンカード申請をすることだ。」
と言われた私達。
でも、当時私は年末帰国しなければならない家族の事情もあり、彼はまだこのまま結婚という決意がその時は出来ていなかった。
また、アメリカ滞在中に結婚、再び私が渡米しその時に結婚のリスクを調べ、トランプ政権下では90日以上滞在していないと結婚が出来ない法律に変わったこともあって、滞在中に結婚は無理だと分かり、10ヶ月後位ならちょうど良いと思っていたようで、それでフィアンセビザ申請をすることにしたのです。
だからその言葉を彼から聞いた時、耳を疑いました。
ショックでした!
なぜ?そんなことを言うのか、どの口が言ってるのか?
と、かなり憤慨し怒りました!
彼もけっきょくは諦めフィアンセビザを待つしかない結論に達しましたが
渡米する際、一度フィアンセビザを申請し中断するわけなので、パスポートNo.は移民局のコンピュータに管理されているはずで
入国の際目的を聞かれ「観光です!」と答えたところで、絶対に怪しまれるし、審査を通過したところで結婚の期日を待つ間に帰国の90日が来ることや、理由をつけて90日以上滞在できる申請が通ったとしても、けっきょくそれで結婚したとなれば、グリーンカード申請の時にまた怪しまれる…等々
日本人の私は先のリスクを考え、時間をかけて無難な道、正当な道を選択したいのに
ただ早く一緒になりたい、待つ時間が長くて耐えられないという理由で私を危険に晒そうとする彼にマジで、本気でキレました!
こんな人だったの?
結婚早まったかな?
と何度も自問自答し、申請辞めようか?とも思いました。
そして、あぁ、、、
これがアメリカ人の発想なのかも知れない…
と思いました。
後先はあまり考えず、その時思ったことが1番だということ。
でも…
その後彼も日本人である私のリスクを考え先読みする「急がば回れ」の考えに賛同し
「昨年末、ビザ申請前にもう少し考えて結論を出すべきだった、ごめんなさい。」
と言って、日本人の考えを尊重するようになったので、今は落ち着いて待つことに徹しています。
ただ条件があり、今年年末迄にステイタスが変わらない場合は、フィアンセビザ申請を中断し
弁護士をつけて、1番早く一緒に生活できる手段を考えるようです。
でもね、I-129申請の時もかなりの書類を準備し、お金もかけて申請したので、無駄にはしたくないと思う私。
とにかく1日でも早く次のステップに進みますよーに!と願う毎日です。
それにしても、やはり和の心を大事にしたい私であります!